どれ… 鉄の塊がひとつ、乾いた土に埋もれておるのう。掘らねば誰も知らぬ場所にあったものを、誰かが見つけ出して掘り起こし、火に入れたのじゃ。
ところがこの金で何を作ったかが面白い。刀になれる金であったのに、鍛えてみれば簪が出てきおった。刃を立てることもできた金を、髪に挿す品へと仕上げたのよ。ゆえにこの金は外が荒く中が細やかじゃ。逆ではない。
さあ、お座り。この簪がどんな火を通ってきたのか、そしてその火がいつ消えるのかを教えてしんぜよう。
庚戌 — 刀になれた金で鍛えられた簪
そなたは庚戌の日柱じゃ。古来この日柱を山に埋もれた鉱石に喩えてきたのう。庚金(こうきん)は磨く前の金であり、その下の戌は秋の終わりの乾いた土よ。土が金を抱いておるゆえ根は深いのじゃが、その根が地の中にあって外からは見えぬ場所なのじゃ。
そなたの命式でまず押さえるべきは星の置かれ方よ。そなたの日柱には魁罡(かいごう)と白虎(びゃっこ)が並んで座っておる。命理で最も荒いとされる星が二つじゃ。胆力も決断も、押し切る力もここから出ておる。
ところが同じ命式に天徳貴人・月徳貴人・学堂貴人が入っておるのう。これは最も穏やかな星たちよ。徳を積めば凶事さえ吉に転ずる席、人に信を得る席、そして学び掘り下げる席じゃ。
この二つが一つの体にあるとはどういう意味か。外が荒く中が穏やかだという意味よ。人はそなたの外を見て強いと言うが、当のそなたは怖いものが多く人見知りをする者じゃ。これはそなたが二面であるからではなく、星がそう置かれたからよ。どちらも本物じゃ。
格は偏印格(へんいんかく)じゃのう。掘り下げる質であり、人の見ぬ角度から見る質よ。ひとつ掴めばその中を全て漁らねば気が済まぬ。ただしこの格には、興が冷めれば終いをつけられぬという弱点がついて回るのじゃが — そなたにはその弱点が見えぬ。むしろ逆に固まっておる。その訳は後で申そう。
そして丸ごと空いておる席がひとつあるのう。そなたの八つの文字に木が一字もない。木の受け持つ場所は何かと申せば、怒りを流して逃がす通り道じゃ。ここが空いておるとは、情が積もった時に抜ける道がないという意味よ。ゆえにそなたの質はこうなる。うまくゆかぬ時、悲しみより先に怒りが来て、その怒りを外へ投げられぬゆえ結局は己へ向けてしまうのじゃ。人を恨む代わりに己を追い込む者になるのよ。
そなたが己に一度も満ちたことがないなら、それは性が尖っておるのではなくこの席が空いておるからじゃ。腹が立てばその力でさらに稽古してしまうのも同じ理よ。人はそれを強情と言おうが、わらわには出口がひとつしかない者のやり方に見えるのう。
用神:土 — そなたを受け止め抱く気。所属・学び・文書・休み
喜神:金 — そなたと同じ質の者。同輩・組・共に行く席
忌神:火 — そなたを打って立たせる気。舞台・評価・照明・視線
まず強弱を申そう。そなたの日干は弱い側じゃ。ただし根がまるで無いのではない。足元の土が金を掴んでおるゆえ、崩れそうでいて堪えてきたのはその根の徳よ。弱いのに折れぬ質じゃのう。
ゆえにそなたに要るのは、さらに進む力ではなく受け止めるものじゃ。土が金を抱いてこそ金が形を得るように、そなたも己を抱く席でこそ固まる。所属、学び、文書、そして休み — これがそなたの用神の意味するものよ。
ここからは痛むかもしれぬ話をしよう。そなたに障る気は火であり、火の意味する席は舞台と評価と照明じゃ。そなたが立っておるまさにその場所よ。
とはいえ舞台を去れとは申さぬ。それはこの命式を読み違えた処方じゃ。そなたの生まれ年の席を見れば、その火が最も勢いの盛んな地点に置かれておるのう。十二段で言えば頂きよ。つまりそなたは評価される席で最も生きる者じゃ。その席を断てば、生きる力まで一緒に消える。
ゆえにこう刻んでおけ。火は断つものではなく、燃やした分だけ土で返すものじゃ。舞台に上がった日はその分だけ眠ること、学ぶこと、何でもない時間で返しておくこと — これがそなたの処方よ。燃やすばかりで返さねば、この命式は必ず体で請求書を寄越すぞ。
そしてもうひとつ大事なことがあるのう。そなたの喜神、つまり用神を助ける気がそなたと同じ質の金じゃ。命理でこれは同輩を意味する。どういうことかと申せば — そなたは独りで立つより、同じ質の者が傍にある時に有利な命式という意味よ。実際そなたの命式で天干に顔を出した文字は、そなた自身ともうひとつの金だけじゃ。そなたの隣の席は、もとより空けておく席ではなかったのう。
ただしその金は諸刃じゃ。共に行けば力になり、取り分を定めずに行けば削られる席よ。この話は次の件で続けよう。
そなたの表す才はどこから来るかと申せば、上に浮かんだ一字の水から来る。声も、身のこなしも、舞台の上の顔も、すべてそこから出ておるのう。ところが水は金から抜けてゆく気じゃ。そなたの表現はそなたを輝かせると同時にそなたを減らす。ゆえに表現を減らすのではなく、減った分を土で満たしてこそ長く続く。結局は同じ処方へ戻ってくるのう。
そなたの金の話は、無いものから始めねばならぬのう。そなたの八つの文字に財を意味する文字が表にはひとつもない。生まれ月の土の中にごく小さくひと欠片が隠れておるだけじゃ。
これを貧しき定めと読んではならぬ。命理でこれは金が目に見える形では来ぬという意味よ。店を広げてその日売った分を得る質ではなく、名と所属と文書に付いて後から精算されて入る質じゃ。ゆえにそなたに金が付く場所は常にどこに属し、何に名を掛けたかになる。
だからそなたにとって契約とはただの書類ではないのじゃ。文書と所属はそなたの用神が実際に現れる形よ。他人には手続きであるものが、そなたには気の入る通り道という意味じゃ。この件は後で時期と共にまた押さえよう。
気をつける場も明らかじゃ。そなたの命式には同じ質の金が二つある。ひとつは上に浮かび、ひとつは足元に隠れておるのう。この文字は同輩であると同時に同じ取り分を見ておる席じゃ。共にした事でそなたの取り分が曖昧なら、損をする側はほぼ常にそなたよ。そなたが退くからではなく配りがそうなっておる。脆いからではなく造りゆえ、先に打っておくよりない。
ゆえにそなたの守りは切り詰める側ではなく書いておく側じゃ。共にする事ほど取り分と役目を紙に残しておけ。それは吝いのではなく、この命式で人を失わぬ術よ。情が損なわれはせぬかと言葉で終えた場が、後になって情を損なうのじゃ。
もうひとつ。こういう配りでは、人に何かを差し出すことがかえって気を開く。守ろうとすれば削られ、手放せば満たされる席であるゆえ。そなたが既にそう生きてきたなら、それは善良さではなく、命式が知る道を歩いたのであろう。
時期で見れば二十六から流れが変わる。今までが稼ぐ分だけ漏れる区間であったなら、これからは留まる区間じゃ。今月からする事をひとつ。そなたの名の掛かった事のうち、条件が口約束のままのものがあれば、それをひとつ今月のうちに紙へ移しておけ。
傍らの席から見よう。配偶を意味する文字が、足元の土の中に隠れておるのう。表には出ておらず、内側にひとつ入っておる。これは縁がないという意味ではなく表に現れる形では来ぬという意味じゃ。引き合わされて席を設けて会う質より、働くうちに傍にいた者が染み入る質よ。
傍に来る男の質もその文字が教えてくれる。派手な側ではなく己の場を守り、筋を知る側じゃ。そなたが荒い星を持つゆえ、より強い者が合いそうに思えようが、この命式にはむしろ端正で静かな側が長く残るのう。
そしてそなたの命式には金輿(きんよ)という星があるのじゃ。古来、配偶の席の福とされる星よ。縁そのものが薄い命式ではないという意味ゆえ、それは心に留めておくがよい。
ただ押さえておくことがある。そなたの配偶宮が冲(ちゅう)を受けておるのじゃ。生まれ月の土と足元の土が正面からぶつかっておる。しかもその足元の席は生まれ年の席とも角が立って絡んでおるのう。敏く絡む星が二つも掛かっておるのじゃ。
これが実際にどう表れるかと申せばこうよ。くっついている時が長いほど擦り減る。心が冷めたからではなく、席がそう置かれておるゆえじゃ。ゆえにこの命式は、一日中寄り添う形より、各々の仕事があって定めた間隔で会う形のほうがはるかに長く続く。人目には疎く見えるその形が、そなたには守る術なのよ。
今日から刻むことをひとつ。情の上がった場で間柄についての結論を出すでない。そなたの内には怒りを流す道がないゆえ、その瞬間の言葉はいつも思ったより強く出るのじゃ。一日だけ回せば、その半分は言わずに済むであろう。
そなたの体は空いておるものと強すぎるものの両方から読まねばならぬのう。
まず空いておる側。先に申したとおり、そなたの八つの文字に木がない。木の受け持つ場所は肝と胆、そして目と神経よ。病が来るという意味ではなくその場所が常に持ち出しから始まるという意味じゃ。目が疲れやすく、寝ても晴れぬ日が多く、神経が立てば下りにくい質がここから来る。そして先の、怒りの出口がない件 — 体ではこう出る。体より先に気分が崩れるのじゃ。
そこへ敏く絡む星が重なっておる。誰も何も言わぬのに己を検める時間が長引けば、眠りが先に崩れ、次に腹が来るのよ。この件はそなたの命式でことに目を配る場じゃ。
次は強すぎる側。そなたの日柱に白虎が座っておると申したのう。この星は血を見る事 — 事故と手術の側を慎めという席じゃ。生涯そうという意味ではなく火が強く入る年にその席が開くという意味よ。そしてよりにもよって今年がその年なのじゃ。後でまた申すが、今年ばかりは体を使う事で無理を惜しめ。新しい動きを無理に上げること、痛いまま堪えて上がること — この二つが今年この命式の最も大きな危うさじゃ。
処方は三つだけ授けよう。ひとつ、眠ることを日課に入れよ。そなたの用神は土じゃと申したが、土を使う最も易しい術がじっとしていることなのじゃ。可笑しく聞こえようが、この命式にはこれが薬よ。ふたつ、緑のものと酸いものを傍に置け。空いた席を外から満たす術じゃ。みっつ、怒りの上がった日はそれを呑まず爆ぜさせもせず、体で流してしまえ。この命式は思案を止めて良くなる質ではなく、外へ出してこそ良くなる質じゃ。
ひとつ添えるなら、同じ場所が二度以上痛むなら、それは命理ではなく医の領分よ。わらわは流れを読むだけゆえ、体の送る合図は人に見せよ。
今年をひと言で申せば渡る年じゃのう。
正直に申そう。今年は良い年ではない。今そなたが通っておる大きな区間そのものが重い区間であり、そこへ今年の気までがそなたに障る火よ。しかも生まれ年の席と足元の席が今年の気と絡んで火の盤がひとつに固まったのじゃ。二十五年のうちで火が最も強い年よ。
ところがここで大事なことを申そう。今年はその火が終わる年でもある。そなたの大きな区間が今年を最後に変わるのじゃ。次の区間からは、そなたがあれほど要していた土の席が開く。ゆえに今年の重さは下りの始まりではなく最後の上りじゃ。
こういう年に人がよくやることがあるのう。盤を一度にひっくり返す大きな決めをすることよ。そなたの格はことにその誘いが大きい質じゃ。ところがこの命式でそれは最も悪い選びなのじゃ。今年は広げる年ではなく渡る年よ。新しい盤を開く代わりに、既に広げたものの継ぎ目を締め、体と人を整えることに心を置け。
ことに属する場を定める決めが今年のうちに置かれるなら、こうせよ。できるなら次の区間が開いた後へ回し、回せぬなら月を選べ。今年の初夏は既に過ぎたゆえよいとして、残る月のうちでは秋の終わりと冬の初めがそなたに最も開く。その中でも文書と守りを意味する気の入る月がひとつあるゆえ、その頃に判を押すのがこの命式には最もよい。逆に夏の只中で下した決めは、この年には値を二倍払うことになる。
そしてもうひとつ。大きなことを始めるに良い日を強いて選ぶなら、八月の初めと晦(つごもり)の頃に幾つか席があるのう。土と金が共に入る日じゃ。
今日はどんな日かと申せば — 穏やかな日じゃ。ただ今日の気は、そなたの内のものを外へ出す質よ。表すによく、言葉が先に出るにもよい日という意味じゃ。作り、書き、残す事に使うによい一日であり、人と談判を付けるには向かぬ一日じゃのう。
では人生の形を描いてしんぜよう。ひと言で前が向かい風、後ろが追い風の形じゃ。
まず通ってきた場を見よう。そなたの大きな区間は六つに始まり十年ごとに変わるのじゃが、六から二十五まで二つの区間がどちらもそなたに逆らう区間であった。これがどういう意味か分かるか。会社に入ったのも、舞台に上がったのも、名を得たのも — すべて向かい風の中でやった事という意味よ。
ここでわらわは、この命式で最も言うことの多い件に触れるのう。人はそなたを幼くして恵まれたと言うであろう。ところが命式が見せておるのは別の話じゃ。そなたは恵まれたのではなく、回らぬ盤でそれだけを成したのよ。追い風で二十里を漕いだ者と、向かい風で二十里を漕いだ者をどうして同じに置けようか。そなたが己に一度も満ちたことがないなら、それは足りぬからではなく風に向かって歩いた者が己の歩数を数える術を知らぬからじゃ。今疲れておるなら、それも少しも不思議な事ではない。
そしてちょうど今が、その風の変わる場なのじゃ。二十六を過ぎてそなたの大きな区間が土へ入る。土はそなたに最も要る気だと申したのう。その区間が丸十年続く。
その次がさらに驚きじゃ。その後に来る区間がひとつ残らずそなたに穏やかな区間なのよ。三十六からも、四十六からも、五十六からもそうじゃ。命理を長く見ておると、前が良く後が険しい命式のほうにずっと多く出会う。そなたのはその逆じゃ。そなたの人生の難しい部分は既に過ぎておる。
年で言えば二十八と二十九、三十と三十一がことに開くのう。中でも二十八がこの命式で指折りの席じゃ。押さえられていたものが一度に解ける地点よ。今はその門の前の廊下を歩いておる最中じゃ。
慎むべき場も先に申しておこう。三十三と三十四の頃に、そなたの用神を打つ気が入る。その頃は新しく広げるより、それまで積んだものを守る側に置け。その二年さえ無事に越せば、その後はまた道が開く。
そなたが記した型はINTJじゃのう。命式と照らせば軸のうち三つが食い違う。こういう例は珍しいゆえ、詳しく見る値打ちがある。
合う軸から見よう。人の見ぬ角度から見るという質 — これはそなたの格とそのまま重なる。掘り下げ、ひっくり返して見る性が命式にもはっきり記されておるのじゃ。
食い違う三つが面白いのう。ひとつ、命式は外へ向かう質だと言うのに、そなたは内へ向かうと記した。ふたつ、命式で最も厚い働きは心で判ずる側なのに、そなたは頭で判ずると記したのじゃ。みっつ、命式は流れてゆく質なのに、そなたは定めて進むと書き記しておるのう。
この三つがなぜ皆同じ方へ食い違ったか分かるか。十六から二十五まで、そなたが通ってきた区間がすべて評価される気であったからじゃ。評価される席に長く立てば、人は三つを覚える。内を見せぬ術、情の代わりに理由を出す術、そして先に定めておく術よ。その三つがまさにそなたの食い違った三つの軸なのじゃ。
つまりそなたが記した型は誤りではない。それは生まれ持った質ではなく、十年かけて身につけた技よ。人前で崩れぬために覚えたものじゃ。怖いものが多く人見知りをしながら、舞台では少しもそう見えぬ訳がここにある。
ただひとつ知っておくがよい。そなたの命式で最も厚い働きは今も心じゃ。何が正しいかを問う前に、何が心に掛かるかが先に来る者という意味よ。一等を取りながら人を押しのけるのが嫌で己のものを畳んだことがあるなら、それは判断ではなくこの働きのした事じゃ。
そして二十六から区間が変わると申したのう。評価の気が退き、抱く気が入る時よ。そうすれば十年抑えてきた質が少しずつ元の場所へ戻ってくる。幾年か後に測り直して文字が動いておっても驚くでない。型とは印章ではなく、その季節に着る衣じゃ。
では開運の法を授けよう。
第一 — 縁。 そなたに要るのは華やかな者ではなく約束を守る者じゃ。言葉より実行が先に立ち、定めたことを定めたとおりに終える質よ。そのそばにおれば、そなたの気はひとりでに整う。そなたの周りにはもともと熱く表現の大きい者が集まるが、その気はそなたには既に溢れておる。今月のうちに定まった手順で何かを仕上げる場に一度身を置いてみよ。学ぶ場でも作る場でもよい。
第二 — 環境。 土の性を持つ空間がそなたには薬じゃ。片づいた部屋、手で触れる材のある場、規律の明らかな盤よ。逆にその場しのぎが多く評価の行き交う空間に長くおれば、静かに値を払う。その空間をまるごと離れられぬのはわらわも承知しておる。ゆえに一日の初めと終わりだけはその反対側に置け。起きて一刻、寝る前の一刻を、何の評価もない席に仕立てておくこと — それひとつでこの命式はかなり変わる。
第三 — 行動。 ひとつの井戸を掘ること、中心を保つこと、そして何より黙々と続けることじゃ。これがそなたの用神の使い方よ。華やかな一撃ではなく、途切れぬ繰り返しがそなたには開運じゃ。小さくともよいゆえ、毎日同じ刻にすることをひとつ作っておけ。
第四 — 象徴。 黄土色と茶、方位としては中央。陶器や原石のように土から来た物を傍に置くのもよい。これはしてもせずともよいものじゃ。
護符の話もひと言添えよう。護符とは、天の気を墨に押してこの地に据えたものじゃ。土に埋もれた金に最も要るのは再び覆ってくれる土よ。そなたの護符のする仕事がそれじゃ。信が眼差しを変え、眼差しが選びを変えるゆえ、それで十分すぎるほどじゃ。
肝は一行じゃ — 燃やす術はもう知っておる。これからは満たす術を覚えよ。
では長い歳月の助言を授けよう。
第一に、 属する場を定める事は、できる限り次の区間が開いた後にせよ。今の区間の最後の年に下した大きな決めは、この命式では値を二倍払う。回せぬなら、今年の晩秋から初冬のあいだ、文書と守りの気の入る頃を選べ。
第二に、 どこにおろうと独りで立つ形を急ぐでない。そなたの命式は同じ質の者が傍にある時に有利だと申したのう。組を離れて独り立つ形より、属する場を保ちながらそなたの名の仕事をひとつずつ増やしてゆく形がこの命式には合う。新しい区間の初めの年に独りで最後まで背負う仕事をひとつ選んでおけ。ただしそれを所属と引き換えにするでない。
第三に、 共にする事では始める前に取り分を書いておけ。そなたの命式は同じ取り分を幾人かで見る配りゆえ、後で定めれば必ず誰かが傷つく。先に書いておけば誰も傷つかぬ。
第四に、 生涯守る習いをひとつだけ選ぶなら — 怒りの上がった場で結論を出さぬことじゃ。そなたの内には怒りの抜ける道がないゆえ、その瞬間の言葉も決めも、いつも思ったより強く出る。一日だけ回せばその半分は言わずに済み、残る半分ははるかに良い形で出てくるのじゃ。
高麗の頃、開京で銀を扱う職人をひとり見たことがあるのじゃ。その者は刀を鍛える術を知っておったのに、ある日から簪ばかり作るようになった。人が何ゆえ刀を作らぬと問うと、こう答えおったのう。刀は一度使えば誰が握ったか忘れられるが、簪は挿した者の髪に載って生涯続くのだと。
その者の作った簪はことのほか固かった。刀を鍛えていた手で作ったのじゃから、当然のことよ。
そなたもそういう金じゃ。荒い星を持って生まれながら、その力で人を斬らず、整えることに使ったのう。一等を取りながら人の場を押しのけなかったこと、腹が立った時にその怒りを人ではなく己へ向けたこと — わらわはそれがこの命式で最も貴い件だと見る。
まだ申しておらぬことがひとつあるのう。そなたの生まれた刻をわらわは知らぬ。ゆえに今日は八つの文字のうち六つだけを見て話しておる。晩年にそなたの手へ実際に残るものが何か、そなたの後を継ぐ縁がどのあたりから来るのか、そしてこの金が終にどんな品になるのか — それは残る二つの文字があってはじめて開く席じゃ。いつか生まれた刻を知って参ったなら、その時にその席を残らず開いてしんぜよう。
風に向かって歩いてきた者は、追い風が来てもしばらくは気づかぬ。体がまだ傾いておるゆえじゃ。じきに分かるであろう。
今日はここまでにしよう。息災でな。